落語
7日土曜が学校公開日。
8日と、代休の9日に旅に出たのはうちの勝手としても、
11日は、来春の新入生のためのなんだかで、
ゆう君たちは9時45分帰宅。
そして今日12日は、PTAの学年活動。
・・・
そんな、ただでさえ落ち着かない週、
今年の学年活動は何かと言うと・・・
落語
・・・へ?
なんで今、落語(^^;?
とりあえず、この、新型インフルエンザ渦のまっただ中、
4年生全員200人ほどと、その保護者が体育館に集合です。
まあ、保護者は全員ではありませんが、そのぶん下の子が追加されます。
もー、PTA活動って何なのよーーー(>_<)
落語聞くのは子供だけでいいぢゃんかーーー(>_<)
ひとりっこで働いてもないし介護もしてないので行かない理由もないながら、
だからと言って暇なわけじゃないんだ!むしろ時間は足りないんだーー(>_<)ノ
そんなわけで、
折りしも前日までとうってかわって極寒の雨の中、
泣く泣く体育館へ。
入り口でもらったレジメによれば、落語家さんは入船亭遊一さんとおっしゃる。
・・・・・・・・・
聞いたこともありませんorz
もう、寝ること前提で、椅子に座りました。
駄菓子菓子!
意外と?面白くて眠れなかった(爆)。
落語そのものはラストの15分だけで、
前半の45分は落語の説明だったのですが、
・人物の演じ分けは顔の向きでする、
・必ず最後にオチがある、
・大道具も小道具も、扇子と手ぬぐいだけで表現する、
知っていてもあらためて三か条で話されると、
なるほどな、と思います。
オチの説明で、小話も披露してくれました。
子供たちが食いつくように?(笑)、
「ハトが何か落とした!」
「フーン」
「ハトがフンを落とした!」
「くそーーっ!」
・・・
オヤジギャグ?(^^;
(そういう意味で笑った(苦笑))
肝心の落語は、上方?古典落語で、「転失気(てんしき)」。
知ったかぶりの寺の和尚が、
かかりつけの医者に「てんしきはありましたか?」と聞かれ、
それが何なのか聞くことができないまま、いかにも知ったように返答。
その後、寺の小僧さんを使っててんしきが何か探り出そうとするも、
いつも怒られてばかりの小僧さんが和尚をだまし、
てんしきとは、盃のことでございます、とうそを教えたので、
和尚と医者の間でとんちんかんなやり取りが繰り広げられる、
という筋。
てんしき=転失気とは、おならのことです(笑)。
和尚は医者に、三代にわたって伝わった由緒正しい「てんしき」=「和尚視点では盃」
を見せようとし、
それを聞いた医者は「三代続いたてんしき」=「医者視点ではおなら」とは、
どれほど臭いかと身構えるなど、とんちんかんなやりとりが続くわけです。
途中、「てんしき」がどうして盃なのか、疑問に思った和尚ですが、
そうか、きっと「天酒器」が転じて「てんしき」なのだなと自らを納得させるくだり、
なまじ教養があるばかりに更にハマっていく様子が、おかしみを増す仕組みです。
さてこの落語、お話自体はオチも見えてますし、
あとは安心して笑わせてもらえればいい、という感じでしたが、
いろいろ考えることが多くて興味深かったです。
もともと庶民が、和尚や医者といった「権威」が、
小僧という庶民層にからかわれる話で笑い、
ストレス解消していたであろう落語。
いまの時代ではその前提の「権威」がほぼ消滅していますから、
落語の屋台骨が成り立たない、と思いました。
坊主や医者がどれほどトンチンカンでも、可笑しくも何ともないわけです。
それに医者の往診も特別なことでしかなくなった昨今、
更に書生さんに煎じた薬を預けて、小僧があとで取りに行く、
という設定も、理解不可能なもの。
花屋、八百屋、ゲタ屋というのも、言葉ではわかっても、
大規模ショッピングセンターに取り込まれてしまっている地方では、
具体的には浮かばないでしょう。
その上、小僧さんが「てんしき」をお店に「借りに行く」というのも・・・
わけのわからない話でしかなさそうです。
何より、「知ったかぶり」という、この場合一種の美学が、
今の時代はすっかり崩壊しているように思うのですが・・・。
薀蓄たれる人はまだまだいますが、
知らないことを知ってるふりするような場合は、
気が弱くて言い出せないとか、
取引先に自社製品について突っ込まれて知らないことだったので誤魔化すとか、
何かそういう弱い動機であって、
自らの権威の存続のために知らぬとはいえない、という、
かつて在り得た美学みたいなものではなくなっている気がするのです。
だとしたら、この話の面白さもほとんどわからないはず。
実際、お笑い大好きっ子のゆう君ですが、
今日の落語は「何言ってるのかわからなくてつまらなかった」と、
半分怒ってました(^^;
古い文化財などでも「物」であれば、
とりあえずそのまましまっておけば、伝え残すことは可能です。
でも、人が代々伝えていく「芸」は、
時代にあわなければ取り残され、いずれ消えるしかないのかもしれません。
かと言って、流行に迎合すればもう「芸」ではなくなります。
そんな時代にこの世界に飛び込んだ落語家さんたち、
どう考えていらっしゃるのかな・・・
そんなことを考えていたら、興味深くて眠れなかった1時間でした^^
まるさんが落語の未来について語るとは’w’
by canaa (2009-11-12 22:24)
時代によって、文化、風習も変わって行きますもんね・・・
新作ならまだしも、古典はある程度の予備知識がないと面白くないですよね^^;
こういう場所なら、新作の方が良かったんでしょうけど、新作を作れる落語家さんっていうとベテランさんになっちゃいますから、ギャラも高い・・・
難しいところですよね^^;
by ★ASA☆ (2009-11-13 01:22)
♪ かなさん、ナニカナ?^^^^^^
♪ ★ASA☆さん、平成11年入門とありましたのでまだお若い方、
落語のことは詳しくありませんが、真打さんではなく、その前の段階の方でした。
3年前からうちの小学校の4年生のPTA活動に来てくださってるそうで、
去年の演題は「寿限無」だったそうで・・・子供たちの反応はどうだったのかしら(^^;
今年おならネタにしたのは、
少しでも子供の興味にあわせるためだったのかなとか(苦笑)。
by まるさ (2009-11-13 09:37)